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0876a559 anonymous 2022-01-07 19:26
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寄生虫症の流行

下に掲げたほかにもサシチョウバエ類によって媒介されトリパノソーマ科の原虫リーシュマニアの感染を原因とするリーシュマニア症やカメムシ目サシガメによって媒介されユーグレノゾアキネトプラスト類に属する鞭毛虫トリパノソーマクルージを病原体とするシャーガス病などの寄生虫病が知られる

住血吸虫症
住血吸虫症の起源は古く灌漑網を整備したメソポタミアやエジプトの初期農耕社会ですでに蔓延していたとみられマラリアとならんで農耕生活の広がりによって拡大した感染症である河川や湖沼に生息する巻貝が中間宿主となりヒトには生水を通して感染する住血吸虫の保虫者は慢性的な胃や胸の痛み疲労感下痢を訴えることが多く虫卵が膀胱や尿管の粘膜に集まるため尿路にも障害が生じるフランスの英雄ナポレオンボナパルトは尿道の激しい痛みを持病としていたが従来その原因は尿路結石とされていたしかしその症状記録を子細に検討した専門家は18世紀末葉から19世紀初頭にかけてのフランス軍のエジプト遠征エジプトシリア戦役の際に感染したビルハルツ住血吸虫症の可能性が高いと報告しているアフリカや中東にかけてはビルハルツ住血吸虫症が今なお流行しておりダムや灌漑水路の普及とともにますます拡大しているエジプトでは1970年完成のアスワンハイダムの貯水開始とともに感染が爆発的に拡大した日本には水田耕作とともに弥生時代に持ち込まれたと考えられている日本住血吸虫症は日本中国フィリピン等でみられる住血吸虫症の一種でミヤイリガイオンコメラニアという巻貝を中間宿主として成長した寄生虫日本住血吸虫が経皮感染によってヒトやウシネコなどに感染することによって発生する感染症である日本では古くから甲府盆地底部一帯や筑後川流域が罹病地域として知られてきた特に山梨県下では地方病と称されて地域特有の奇病と見なされてきた1904年に桂田富士郎が甲府市でこの寄生虫を発見し1913年に宮入慶之助と鈴木稔が佐賀県鳥栖市において寄生虫の中間宿主がオンコメラニアであることを発見したため病名に日本の名が付されることとなった中国湖南省長沙市の前漢代の墳墓である馬王堆遺跡のミイラから日本住血吸虫の生活痕跡を検出したことから中国においてこの感染症の流行はきわめて古くからのものであることが確かめられている中国では1950年代初頭四川盆地をふくむ長江流域や広東省福建省雲南省など広汎な地域で日本住血吸虫症の流行が顕在化し患者数は約3200万人にのぼったと推定される中華人民共和国では建国以来大衆動員によって古いクリークを埋め立て新しいクリークを開削する方法によってオンコメラニア対策が採られ1958年には江西省余江県での成功にちなんで当時の中国共産党の指導者毛沢東は送瘟神瘟神を送ると題する漢詩をつくっている日本住血吸虫症はこんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが日本では1978年に発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず1996年には山梨県知事の天野建によって地方病終息宣言が出された

マラリア
単細胞の寄生虫であるマラリア原虫が赤血球に寄生して起こる感染症で40℃前後の発熱や悪寒などの症状をともない頭痛や吐き気をもよおすこともある熱系により三日熱四日熱定期性のない熱帯熱に分けられる熱帯亜熱帯地域に多く日本ではおこりとも呼ばれたマラリアの起源は古く農耕生活の始まりにさかのぼるヒトに感染するマラリア原虫には6種ありうち5種はゴリラやチンパンジーなどアフリカ産霊長類に起源を有しているのこり1種は2004年にボルネオ島で見つかったサルマラリア原虫でカニクイザルなどアジアに棲息するマカクを自然宿主としているカの中でハマダラカの一部の種だけが病原体を媒介するメスのハマダラカが感染者の血液を吸い別の人を刺すことによって広がる通常カに刺されて10日ないし14日の潜伏期間を経て発作状の発熱がある効果的なワクチンはないが抗マラリア剤で治療できる従来長きにわたってキニーネが特効薬とされてきたがのちにアテブリンやプラスモヒンが開発された[27]第二次世界大戦後はクロロキンの使用が増えているマラリアは約1万年前以降ヒトの生存に大きな影響を与え始めたがこれは新石器革命の開始の時期とほぼ一致している4800年前ないし5500年前の古代エジプトでつくられた複数のミイラからはマラリア原虫のDNAが検出されツタンカーメン王のミイラからもマラリア原虫の一部が見つかっているまたマラリア予防の目的かどうかは不明であるが古代エジプト最後の女王クレオパトラ7世が蚊帳の下で寝ていたことが確かめられているなお東方遠征で有名な古代マケドニア王国の王アレクサンドロス3世については従来はマラリアによる死亡と考えられてきたが近年マラリアが死因でないとする学説が登場している中国最古の医学書黄帝内経にはマラリアとみられる疾病の診断法と治療法が記されておりインドでは最初に農耕がはじめられたインダス川流域から高温多湿のガンジス川流域へと耕地を拡大していった過程で流行したとみられるヨーロッパでは地中海地域で流行し古代ローマでは人口激減の一因にもなった17世紀から18世紀にかけてはヨーロッパ各地で数回にわたり流行が繰り返された古代ローマ帝国の軍人ゲルマニクス10世紀の神聖ローマ帝国の皇帝オットー2世平安時代末期の平清盛堀河天皇ルネサンス期の文豪ダンテアリギエーリ室町時代の僧一休宗純日本陸軍の諜報員であった谷豊ハリマオイタリア出身の自転車選手ファウストコッピなどはマラリアによって死去した人物とみられている平安時代の日記や記録にはマラリアの流行が幾度も記載されており敦良親王や藤原頼通はマラリア感染者であったと考えられる当時の王侯貴族は多くの場合加持祈祷によって病気平癒を願ったアメリカ大陸には大航海時代以降旧大陸各地から持ち込まれたアメリカ合衆国では18世紀から20世紀にかけて多い年には10万にも感染者があらわれたとくに首都のワシントンD.C.は元来沼沢地であったためにマラリア蚊が蔓延しジョージワシントンエイブラハムリンカーンユリシーズグラントといった大統領職にあった政治家も感染を経験しているロシア革命後の1923年マラリアはウラル山脈より西側のヨーロッパロシアの地域で流行し約300万人が感染したといわれるまた第二次世界大戦中に沖縄県とくに八重山諸島で発生した集団罹患は特に戦争マラリアと呼ばれるここでは急ごしらえの簡素な小屋で多数の人びとが共同生活を余儀なくされたことからおよそ1万7000人が感染し死者は約3000人におよんだアフリカにおいては現在エイズ結核と並ぶ3大感染症のひとつであり視覚や聴覚を失うなどの後遺症で悩む人も少なくないその感染者は毎年3.5億人から5億人にかけてと推測されアフリカでは子どもの主要な死因のひとつになっている2008年3月にマスメディアに流れた情報によるとケニアウガンダタンザニアにまたがるアフリカ大陸最大の湖ヴィクトリア湖は年々水位が下がっており係留していたと思われるボートが陸に上がってしまったり湖岸であった箇所には幅10メートルないし20メートルの草地が続いていたというNASAなどの衛星観測データはヴィクトリア湖の水位がピークの1998年にくらべ1.5メートルも低下しており1990年代の平均と比べても約50センチメートル低くなっていると伝えているその原因としては降雨量の減少と下流にあるダムへの過剰な流出が考えられている干上がりかけた水たまりにハマダラカのボウフラカの幼虫が泳ぐなど蚊の繁殖に好適な水域が広がり従来はマラリアが非流行地だったケニア西部の高地にも多発する傾向が顕著となっているまた地球温暖化の影響でハマダラカが越冬できる地域が広がったことにより感染地域が広がる危険性についても指摘されている日本もマラリア対策に協力しているがそのひとつに伝統的な蚊帳づくりがある

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