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d8345108 anonymous 2022-01-07 19:27
ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

ウイルス性感染症の流行

麻疹
麻疹は一般にはしかといわれ麻疹ウイルスによって感染する感染力はきわめて強く高熱咳鼻水全身性の発疹をともない口中にコプリック斑英語版と呼ばれる白い斑点ができる日本でも古くから知られ平安時代以降の文献にしばしば登場するあかもがさは麻疹であろうと考えられている正暦から長徳への改元のあった995年正暦6年長徳元年に全国的な伝染病となって平安京を直撃貴族も多数死亡して政治に混乱をきたした古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られかつては命定めとよばれて恐れられたため全国各地に麻疹に関する民間信仰が伝わっている[53]富山県高岡市でははしかが流行すると九紋龍の手形の紙をもらい九紋龍宅と書いて門口に貼って病除けにした伝承がのこる神奈川県横浜市や大和市藤沢市に点在する鯖神社左馬神社佐婆神社ともを一日で巡る七さば巡りをおこなうとはしかや百日咳の病除けになるといい愛知県や三重県ではアワビの貝殻を戸口につるしてはしか除けをしたという江戸時代の庶民にとって地震や火事とともに怖れられたのが感染症であったがとくに疱瘡天然痘麻疹はしか水疱瘡水痘は御役三病と呼ばれて恐怖された世界保健機関WHOでは2015年3月27日日本を麻疹の排除状態にあると認定した排除状態は日本に土着するウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される2014年の流行などは日本国外から持ち込まれたウイルスのため判断に影響していない

天然痘
天然痘は有史以来高い死亡率治癒しても瘢痕を残すことから世界中で不治悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である痘瘡ともいい天然痘ウイルスによる高熱嘔吐腰痛があり全身に発疹するすでに1万年前にはヒトの病気であったらしい天然痘で死亡したと確認されている最古の患者は古代エジプトの第20王朝のファラオラムセス5世でありミイラの頭部に天然痘の痘庖があることを確認している彼は紀元前1157年に死亡したとみられる165年のパルティア遠征中のローマ軍のなかで発生しこののちローマ帝国内で流行したといわれる伝染病はこんにちでは天然痘であると考えられておりこれによりローマは深刻な兵力不足に陥って国力衰亡の原因のひとつとなった天然痘は4世紀以来アジア各地で流行している中国ではジェンナー後述による種痘牛痘が試みられる前から発疹の瘡蓋かさぶたを用いた人痘がさかんにおこなわれていた日本では律令国家の完成期で中央集権化が急速に進んだ奈良時代に天然痘が大流行し天平7年735年から天平10年738年の流行では総人口の約3割が死亡したという試算もある好んで宴会をひらいた藤原武智麻呂房前宇合麻呂の4兄弟藤原不比等の子は天然痘にかかって相次いで死去しときの最大権力者で不比等の孫ないし女婿にもあたる聖武天皇が東大寺大仏を建立することを決めた背景には疫病をどうにかして鎮めたいという強い意思があったと考えられる16世紀にスペインがアメリカ大陸を侵略した際このウイルスを持ち込み奴隷労働とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となったW.H.マクニールはエルナンコルテスが1521年に600人弱の部下で数百万の民を擁するアステカ王国を軍事的に征服したのみならず文化的精神的にも征服しえたのはコルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている1533年のフランシスコピサロによるインカ帝国の征服もそれに先だって中央アフリカから帝代のコロンビアの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる1526年にはインカ皇帝のワイナカパックや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが後継者とされたニナンクヨチもまた天然痘で命を落としてしまったそのため王位をめぐる争いがアタワルパとワスカルの異母兄弟のあいだで起こった圧倒的少数者であったピサロが勝利できたのは鉄製の武器や馬の使用によるところが大きかったしかし天然痘ウイルスによって人口が急激に減少したインカ帝国はスペイン軍が侵入したときすでに内乱をかかえ崩壊寸前であったアステカインカの両帝国の崩壊はいずれも馬や鉄器火砲をもたない軍事的敗北の結果といわれるがそれ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が大きな要因だったのである17世紀前半には北アメリカ東部のインディアンで天然痘が流行しているまた18世紀のフレンチインディアン戦争ではイギリス軍により生物兵器としてインディアン殲滅を目的に使用された例があるまたアメリカ独立戦争では英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったがこのとき独立軍に天然痘が流行したといわれるなおヴォルフガングアマデウスモーツァルトも11歳のとき天然痘にかかりその痕跡がいくつもあったといわれている1721年オスマン帝国で発達したトルコの人痘接種法がヨーロッパに伝わったがこれは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった1798年自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師エドワードジェンナーが牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種したこれが世界における予防接種のさきがけであり一種の人体実験でもあったジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこないまた種痘の乾燥保存に成功したこれは史上初のワクチンである天然痘ワクチンの嚆矢となった以後種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったがソ連の独裁者ヨシフスターリンは顔にはっきりと痘痕が残っており天然痘によるものとされているなおアメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のトマスジェファソンがいる天然痘は1958年に世界保健機関WHO総会で世界天然痘根絶計画が可決され根絶計画が始まった1970年には西アフリカ全域から根絶され翌1971年に中央アフリカと南米から根絶された1975年バングラデシュの3歳女児の患者がアジアで最後の記録となりアフリカのエチオピアとソマリアが流行地域として残ったが1977年ソマリアのアリマオマーランを最後に天然痘患者は報告されておらず3年を経過した1980年5月8日にWHOは根絶宣言を行った天然痘ウイルスは現在アメリカとロシアのバイオセーフティーレベル4の施設で厳重に管理されている天然痘はヒトに感染するウイルス性感染症のなかでは人類が根絶した唯一の感染症である

ポリオ急性灰白髄炎
ポリオは小児に発症が多かったことから小児麻痺しょうにまひの名でも知られ日本での正式名称は急性灰白髄炎であるポリオの名称は英語のpoliomyelitisの前半部分灰白部に由来しており中枢神経である脳灰白部と脊髄に病変が生じるところからの名称であるポリオはピコルナウイルス科エンテロウイルス属のポリオウイルスを病原体とする感染症であり脊髄神経の灰白質をおかすためはじめの数日間は風邪をひいたような症状があらわれるがその後急に足や腕がまひして動かなくなる病気であるポリオウイルスに感受性があるのは霊長類だけであり自然宿主はヒトだけであるポリオについてもその歴史は古くエジプト第18王朝紀元前1403年-紀元前1365年の石碑に片足が萎縮して杖をついた人物が刻されているがこれが症状からみてポリオであろうと推定されている日本では北海道洞爺湖町の縄文時代後期の考古遺跡入江貝塚から出土した女性人骨にポリオ痕跡の可能性が高い遺体が認められるが日本へのポリオ流入は明治以降であるという有力な反論があり定説には至っていないポリオウイルスに感染したとしても後遺症として麻痺がのこるのは100分の1ないし1,000分の1といわれているポリオ患者として知られる著名人は数多くそのなかで麻痺がのこったのは不運なケースといえるがその麻痺を克服して成人後に大きな業績を成し遂げた人も多いたとえば日本社会党委員長であり横浜市長も経験した飛鳥田一雄ニュートリノの研究で2002年のノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊1960年ローマオリンピックで女子短距離3種目女子100m200m400mRで金メダルを獲得したウィルマルドルフなどが知られるなおポリオ患者として有名であった人物に第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリンルーズベルトがいる1921年にポリオに罹患したF.ルーズベルトはみずからの麻痺症状の治療のために1926年にジョージア州ワームスプリングス英語版の温泉地に土地を購入して別宅を建てたしばしば同地に滞在したため別宅はリトルホワイトハウスと呼ばれ1945年4月にそこで死去しているF.ルーズベルトはみずからの障害体験から障害者支援には積極的で大統領就任後ポリオ対策のために国立小児麻痺財団を設立して募金活動をおこないワームスプリングスには彼の死後ルーズベルトポリオ病院が建てられたただかれ自身は日常生活において車いすを用いていたもののその姿をマスメディアにみられるのを嫌い車いす姿の写真も2枚しか残っていないまたメディア側もあえてそのことを報道しなかったため当時のアメリカ国民は大統領に麻痺があったことはほとんど知らなかったという2003年F.ルーズベルトは実はポリオではなく神経疾患であるギランバレー症候群であったという記事がアメリカ合衆国の医学情報誌に報告されたそれによれば39歳という壮年に達してから発症したことや彼の症状8項目のうちの6項目がギランバレー症候群に特徴的な症状を示しポリオを示す症状は2項目にすぎなかったことからギランバレー症候群であった可能性が高いということであるワームスプリングスのポリオ病院もこんにちではリハビリテーション施設に変わっている

ウエストナイル熱ウエストナイル脳炎と日本脳炎
ウエストナイル熱の病原体である西ナイルウイルスはフラビウイルス科に属しその1属である狭義のフラビウイルス属英語版はデングウイルスDEN日本脳炎ウイルスJEダニ媒介性脳炎ウイルスTBE黄熱ウイルスYFVの4グループに分類されそのうち日本脳炎ウイルスのグループを構成するのは西ナイルウイルスWNセントルイス脳炎ウイルスSLEマレーヴァレーウイルス英語版MVEクンジンウイルス英語版KUNそして狭義の日本脳炎ウイルスJEの5ウイルスである

ウエストナイル脳炎
ウエストナイル脳炎の発生と前後して大量死が確認されたアメリカガラスCorvusbrachyrhynchos
マラリア節でふれたように従来紀元前323年6月10日にメソポタミアのバビロンで死去したマケドニア王国のアレクサンドロス3世大王はその高熱という症状やインドからの帰還での死という地理的要素から古来死因はマラリアであると考えられてきたしかし2003年アレクサンドロスの死は西ナイルウイルスによるウエストナイル脳炎ではなかったかという学説が登場したその根拠は古代のバビロンが現代の西ナイルウイルスの流行する分布域に属していることのほか1世紀から2世紀にかけて活躍したギリシア人著述家プルタルコスの対比列伝プルターク英雄伝[66]のなかの以下のような記述であるアレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に中略城壁のところまで行くと多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあいその内幾羽かが大王の足元に落ちた公的な記録によればアレクサンドロス大王は高熱を発してずっと熱が下がらずそのあいだ激しくのどが渇いて葡萄酒を飲みうわごとがはじまって発熱後10日目に亡くなったといわれるこれらの症状はウエストナイル熱やウエストナイル脳炎の症状と矛盾しない動物媒介性の感染症の新たな出現や伝播は飛行機や船による人類や文物の大量移動を基礎としてたとえば近代化工業化や地球温暖化などによって媒介動物である蚊の生息条件が変化して分布域が変動拡散しまたその宿主の生息域が変動するなどの事象によっており感染症の生態学と呼ぶべきひとつの研究領域が成り立つような条件を生じさせているが他方ではアレクサンドロスの死因のように過去にさかのぼって史実の解釈さえ再検討の俎上に乗せる可能性を有しているのである

日本脳炎
日本脳炎は日本脳炎ウイルスによる脳炎であり日本や東アジア東南アジアを分布域とする感染者の発症率は0.1パーセントから1パーセントと推定されておりそのほとんどが不顕性感染である日本での媒介者は主としてコガタアカイエカといわれるが熱帯地域では他の蚊も媒介する潜伏期は6日ないし16日間とされ高熱を発して痙攣や意識障害におちいる発症してからは対症療法にたよるしかない発症した場合の致死率は10ないし20パーセント程度と推定されるが発症者の半数以上は脳にダメージを受け脳障害や身体の麻痺などの重篤な後遺症がのこる1954年昭和29年日本では不活化ワクチンの勧奨接種が開始され1965年昭和40年には高度精製ワクチンの使用がはじまった日本での患者は1967年昭和42年から1976年にかけての積極的ワクチンの接種によって劇的に減少したといわれている

インフルエンザ
紀元前412年医学の父と呼ばれたヒポクラテスはすでにインフルエンザと思われる病気の大発生について記録しているインフルエンザは1889年に大流行したときドイツの元軍医でコッホの衛生研究所にいたリヒャルトプファイファー英語版が患者よりグラム陰性の細菌を分離することに成功し1892年にインフルエンザ菌と名づけこれこそがインフルエンザの病原体であると発表したこののちインフルエンザの病原体をめぐっては論争が繰り広げられたが1933年に決着した最も被害を出したインフルエンザの流行はスペイン風邪である1918年アメリカ合衆国の兵士の間で流行しはじめ人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行パンデミックとなり感染者は6億人死者は最終的には4000万人から5000万人におよんだ当時の世界人口は12億人程度と推定されるため全人類の半数もの人びとがスペイン風邪に感染したことになるこの値は感染症のみならず戦争や災害などすべてのヒトの死因の中でももっとも多くのヒトを短期間で死に至らしめた記録的なものである死者数は第一次世界大戦の死者をはるかにうわまわり日本では当時の人口5500万人に対し39万人が死亡アメリカでは50万人が死亡した

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